センスを考える

「センス入門」という何とも心惹かれるタイトルの本に出会い、私は真っ先にレジに向かった。

どうやらセンスは鍛えることができるらしい。

 

センスとは?

センスとは何か?デジタル大辞泉を引いてみると次のように書いてあります。

物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。「文学的なセンスがある」「センスのよくない服装」「バッティングセンス」

  1. 判断力。思慮。良識。「社会人としてのセンスを問われる」

 センスとは感覚。私もそう思います。その感覚とは何か?それがセンスです。

それ以外に表現のしようがない。。堂々巡り

 

私の考える「センス」

センスの解釈は様々かと思いますが、私のセンスの解釈は、常人以上達人未満の方や達人の方が共通して持っているものであり、センスがいいとは、そのような人々のおめがねにかなうことだと思っておりました。

「私の選択するものはどうだ!君らみたいな常人にはわかるまい。わかる人にはわかるのさ。この良さがな!!」というようなものでしょうか。

 

 

それはピカソの絵のよさが、私のような常人には理解できないが、ある一定数の人々には評価されていることと同じでしょうか。

ピカソがここまで世界的に評価されているのは、その業界に詳しいセンスのいい人々がセンスのいい作品だと評したことにあると思うからです。

 

先日まで私はこのように思っておりました。

 

センス入門はじめました

この考え、感覚を持っていたため、センスが入門できるものなのだろうか?と疑問に思い、そのタイトルに惹かれて購入しました。

 

松浦弥太郎「センス入門」

非常におもしろかったです。自分が考えるセンスとは、全く異なるセンスがそこにはありました。

センスがいいとは相手があってのこと

私が考えるセンスとはいわば自己主張のイメージでした。

しかし、松浦さんの解釈は真逆。

相手があっての自分であり、社会の中のひとつの存在である自分というものです。

相手があってこその自分であり、自分の好み、趣向を主張するのではなく、世界、環境になじむことであることこそがセンスであるということでした。

 

一事が万事、小事が大事もう一つ、自分にとって耳が痛い話だったのが、この話です。

一事が万事、小事が大事。

ハガレンでも似たようなことを言っていましたね。ハガレンでは一は全、全は一でしたが。

よく言われることであるものの、私自身一番苦手な部分です。日頃の何気ないことから丁寧に行っていくことこそが自分自身を形作り、その様子は他の誰かに伝わることをしっかりと認識して、改めていくことが必要だと思いました。

センス入門とは毎日丁寧に生きることのようです。

 

センスの正体

センスの正体は何でしょうか?感覚という属人的なふわっとしたものです。

人の数だけセンスの数もあるかもしれません。

しかし、私がかつて考えていたセンスを磨くよりも松浦さんが考えているセンスを磨いたほうが遥かによいもののように思われます。

もし、センスが悪いとか言われたら日々の生活を見直しすチャンスなのかもしれません。日々を丁寧に。