Facebookは誕生日機能がなければもっと使いやすいのに

Facebookに翻弄されるのはいやだ。

投稿したのはいつのことだろうか。

ただ、やってないとも言いにくいから。。

 

Facebook

このブログを見ている人にFacebookを知らない人はいないでしょう。

世界一のSNSであり、サバンナ高橋似(私的感覚)の天才マーク・ザッカーバーグにより生み出された世紀の産物です。

人々はみな、Facebookでいいね!をもらえるように行動したり、自撮りをするようになったり、世界の人と簡単に繋がることができるようになったりと世界を大きく変えたことは間違いないでしょう。

 

Facebookのお誕生日機能

Facebookは個人の情報を登録して、実名で使うものです。

個人情報の中には生年月日もあります。Facebookは賢くて、自分の友達の誕生日にんるとメールで通知してくれます。また、お知らせやタイムラインにも友達の誕生日関連情報があふれています。

このありがたいことが、私にとってはありがた迷惑の部分かと。。。

 

誕生日を祝うどうか問題

Facebookの友達には、様々な友達がいます。

めっちゃ仲がいい友達。

遊びには行かないけど会えば話す友達。

特別仲がよくも悪くもない友達。

なんかクラスに居たような気がする友達。

こいつだれだっけ?な友達。

・・・。

 

人によっては更にいろんな友達がいるのではないでしょうか。

私は大体こんな感じです。

 

どこまで祝いの言葉を送るか?

普通に生きてたらどこまで祝いの言葉を送るか?

私はおそらくめっちゃ仲がいい友達だけしか祝いません。

それはそれ以外の友達に祝いの言葉を送ることがものすごく疲れてしまうからです。

 

なんかあまり仲良くないのに誕生日祝いをもらっちゃった。どうしよう。。。

となることがいやなのです。

ちなみに、私が逆にもらったならば、うれしくはあるものの「何て返そうか?」「今度飯でも行こうよみたいな社交辞令を添えた返信じゃないとだめなんじゃないだろうか?」とか色々考えて結局疲れてしまうのです。

 

じゃあめっちゃ仲がいい友達だけに送ればいいじゃん

それがそうもいかないのです。「こいつこの人には送っているのに、私には送ってこないじゃん」と思われるのがいやなのです。(考えすぎだな。。。笑)

たぶん誰もそんなこと思わないかもしれませんが、自分の性格ゆえにこんな始末。。。

 

結局どうなるか?

さて、話は冒頭に戻りまして、こんな始末なので結局Facebookは全然更新しておりません。誕生日も送ってないですし、自分の誕生日も非公開にしております。

誰の誕生日も祝わないし、自分の誕生日も祝ってもらわない。

そしたら、更新もしづらくなって結局放置です。

もはや辞めたらいいのではレベル笑

 

もしかして損してるのか?

ここまで書いてきて思ったのは、もしかしたら損してるのかもしれないなということ。

あまり仲がよくない人でも誕生日おめでとうと言われたらうれしいのかもしれないし、そこから話が弾むということも大人になったので、あるかもしれません。

今会ってみると意外とおもしろいのかも。

ただ、やはりパッとしない学生時代を送ってきた自分からの誕生日メッセはよくわからないだろうから、もうしばらく置いてみようと思います。