文字がない世界と文字の偉大さ

自分の仕事以外にも世の中には多くの仕事があって

そんな人の日常は想像がつかないことばかりでおもしろい

 

幼稚園の先生の話

先日久々に実家に帰りました。その際に今年から幼稚園の先生となった妹と話をしたのですが、そのときの話がおもしろかったです。自分にはなかなか難しい仕事だなと思いましたが、その世界は非常に興味深いです。

 

年中さんができること

妹は年中クラスの先生らしく、毎日大変だそうです。ちなみに年中クラスの生徒の年齢は4~5才だそうです。自分にとっては遠い過去すぎて全く覚えていませんが、おそらく私自身幼稚園に行くことを嫌がっていたので、少なくとも話はできていたのではないでしょうか。年中くらいの年齢の子供は話はできると思われます。一方で、ひらがなを知らないようで読むことはできないとのことでした。

 

文字が機能しない世界

文字が読めない人の世界は私の日常ではなかなか触れ合うことのない世界です。文字が読めない人の世界で起こることでおもしろかったのが、自分の所有物がわからないという話です。幼稚園に来る子の私物には誰のものかわかるように名前が書いてあります。しかしながら、その名前を誰も読むことができないのです。先生である妹を除いては。

言われれば当たり前の話ですが、非常におもしろい話でした。一種のコントのようで。

 

自分の名前は音でわかる

彼らの世界は音でできている。文字が読めない彼らの世界では、ものの名前の判別はすべて音に頼ることになります。人が発した音とものとを自分の中で結びつけることによりものを判別しているのでしょう。後ほど、文章で確認すればいいからということで済ますことができないので、聞く力は鍛えられるのかなとか笑

 

コミュニケーションをとらざるを得ない

文字が読めないので、名札があっても名前がわかりません。そのため、必然的にコミュニケーションをとらなければ名前がわかりません。名札や座席表を見て「あいつは田中って言うんだ~」みたいなことができないため、what's your name?から会話をスタートさせなければいけません。

名札や座席表を設けないというのはひとつのコミュニケーション向上施策になったりもするのかなと思ったり。

 

文字が読めないとブログも読めない

文字が読めない世界では読めないなりに世界をうまく構築できていたのでしょう。しかしながら、文字が読めるということはやはりすばらしいなと感じることが多いです。私は本を読んだり、ブログも読んだりすることが多いので、これらすべてができないとなると困るなと。。。文字が読めるだけで多くの人の考え方に触れることができるので、文字が読めるって言うのはありがたいですね。