働くためには感謝が必要

 

父のボランティアの話


年末に実家に帰省したら父にこんな話を聞かされた。
2016年4月14日熊本に大きな地震が起こった。
その復興の一環として父は現地へ赴き、活動を行ったようだ。
普段と同じことを現地で行っているのだが、現地の人から大変感謝されたようであった。
復興支援のための支援車で道を走れば、道を譲っていただき、
「どうぞ先に行ってください」と言っているようであったそうな。。

こんな話をしてくれた。それはそれは嬉しそうに。
非常に貴重な経験をしたと。

 

父は仕事が好きではない。
しかし、人を助けたりすることが嫌いなわけではないし、活発な人である。
仕事は普段生活している人々にとって当たり前のことである。
そして、サービスを提供される側は「お金を払っているのだから当然」と
言わんばかりの態度になってしまっているのではないだろうか。
本当は感謝しているし、当然など思っていないのかもしれないが、
私たちにはもっとあからさまにわかりやすい謝意が必要なのかもしれない。

 

転職できるなら

私自身も考えることがある。
転職するなら消防士になれたらなと思うことが。
それが私にとって最もわかりやすい感謝される場面であると考えていると共に
誰かの役に立っているということが最もわかりやすいためである。
これは現在の仕事よりも明確に意識できるためにそう思っているのだろう。

 

働くとは?


人のために動くと書いて働くというらしい。
その人のために働くことの対価として、私たちはお金をもらっているのである。
本当はこれが最もわかりやすい謝意であるのだが、それが当たり前になってしまったのか。
はたまた、貨幣には心がないと感じるのか。

 

もっとわかりやすく感謝されたい

私たちは感謝されることが足りていないのではないであろうか。

「仕事がいや」とか「何のための仕事」といった悩みを解決するのは案外少々大袈裟な謝意であったりするのかもしれない。

もっとわかりやすく感謝されたい。。。